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「精神医療の暗い影」 | |
精神疾患という概念が出来るまで昔から、
精神病の患者さんは色々迫害されておりました。 特に中世ヨーロッパでは「魔女狩り」と称し 300年で15万人の精神科患者さんが虐殺された という歴史があります。 これはドミニク修道院のある修道僧が出した、「魔女の木槌」という魔女の見分け方マニュアルを元に、幻覚妄想、躁鬱、過呼吸発作や意識消失がある女性を魔女と称し、片っ端から宗教裁判にかけたんです。 「宗教裁判」といっても「裁判」とは形だけで、ほぼ皆有罪で処刑されたんです。(あのガリレオも地動説で宗教裁判にかけられ有罪になりました。有罪になった時の「それでも、地球は回っている」はあまりにも有名な言葉です。彼は処刑されませんでしたが、死ぬまで幽閉されました) 日本ではそのような虐殺の歴史は無いのですが、
精神障害のある子供が生まれると、恥ずかしいからと 座敷牢に隔離していた歴史があります。 実際に「精神病患者を外に出してはいけない」 という法律があり(精神病者監護法)、 私宅監禁を国が推奨していた時代もあるんです。 その後、ピレルの「鉄鎖からの解放」と呉秀三が「クレペリンの精神医学体系」という書物で発表するまでは全く病気という認識はされていなかったんです。まあ、有効な治療もありませんでしたので、家族や近所の人を守るため、仕方なかったのかもしれません。 今回はこの座敷牢で、長期間隔離されていた、
悲惨な患者さんの話です。 患者さんは20歳台後半の男性で、子供の頃からずっと家の中に隔離されており、ほとんど外に出たことはありませんでした。 今回は食事を取らず苦しそうで様子がおかしいと姉に連れられ来院しました。彼自身はほとんど会話出来なかったんです。 服装は粗雑で汗と排泄物の臭いがし、 伸びきった髭と長髪に女性用のカーラーを 沢山巻いていました。 ほとんど風呂にも入ったことがない様子で パッ見は本当に路上生活者のようでした。 男性なのに髪に沢山のカーラーを巻いているのが 非常に奇妙であり、同時に彼の精神状態が 普通でないことが一目でわかる風貌だったんです。 呼吸困難を訴えており色々検査をしましたが特に嫌がる様子も無く、非常に苦しそうな表情だったのを覚えています。入院後胸部レントゲンを見てびっくりしました。 両肺に大量の水が、肺がほとんどレントゲンで写らないくらい溜まっていたんです。それで息が出来ず呼吸困難になっていたんですね。 精神科的には知的障害か発達障害がベースにある若年発症の統合失調症で、引きこもりから始まり、ずっと訳のわからないことを言っていましたが、近所の目もあるからと病院には連れて行かず、
姉の身を案じ家内に彼用の隔離室を作り食事だけ与えていたそうです。 他人とコミュニケーションが取れず、今回も自分で苦しいと言えなかったんでしょう。 とにかく入院させ酸素を投与し、胸水の検査の結果を待ちました。
たまたま、その日私は当直で、彼を見にいきましたが、 苦しくて横になれず、全く眠ることも出来ないんですよ。 会話できませんが、治療に抵抗することなく、何とか私たちが助けようとしているのは解ってもらえたみたいでした。 結局ベッドのテーブルに枕を置いて一晩を苦しそうに過ごしました。その夜は彼が不憫で心配で頻回に診に行ったのを覚えております。 よくここまで放っておけたなと、家族に対し強い怒りを覚えるのと同時に非常に悲しくなりました。家族としては姉の身を案じてのことで、昔からの慣習だったのかもしれません。
家族のせいだけではない、逆に考えれば、よくぞ、今回病院に連れてきてくれたのだと思いますよ。 胸水の検査の結果、診断は癌性胸膜炎と悪性リンパ腫という血液の癌でした。胸水をカテーテルで少しずつ除去することで呼吸不全は改善したんです。 統合失調症の方も、抗精神病薬を投与し、多少のコミュニケーションは取れるようになったんです。きちんとした会話は出来ませんでしたけど、身振り手振りで解りました。悪性リンパ腫については化学療法で完治する可能性もあるため、血液専門の科のある大学病院に転院となったんです。
あと2、3日病院に連れてくるのが遅かったら、
隔離されたまま、肺に水が溜まり、息が出来ず 一人死んでいたんでしょう。 幼少時から隔離され、外にも出れずに、 苦しくても苦しいと言えずに 死んでいくなんて・・・・ 精神症状でコミュニケーションが取れないと いうことは非常に恐ろしく悲しいことだと 痛感いたしました。 転院後患者さんはどうなったのかわかりませんが、おそらく、化学療法でリンパ腫は良くなったと思われます。精神症状についても薬物の反応は悪くなかったので、再び隔離されているということはないと思います。 しかしながら、彼の未来を考えると、薬で統合失調症が良くなっても、20年以上隔離されていたことで他人とのコミュニケーションや社会性というものが、全く身についておりません。
そのことで彼はこれからもずっと苦労することになるでしょう。再び引き篭もる選択をするのかもしれません。失った時間を取り戻すのは大変なんですね。でも、これから彼の人生は変わるのですから、良い方向には向かうと思われます。 私宅監禁、座敷牢、というのは地方の部落などでは、未だに認めることがあるそうです。恐らく彼のような悲惨なケースが昔から日本には沢山あったんでしょうね。 逆に考えると、今回の彼は身体的な病気が あったおかげで、家族が気づき 外の世界に出られた訳ですが、 もし身体的な病気がなかったら、 一生隔離部屋から出ることはなかったのかも・・・ 老人になって、体を壊すまで・・・・ 日本では精神病というと、どうしても恥ずかしいという偏見が強いみたいですね。一族の恥だみたいな・・ 昔海外の精神科医の講義を聞いたことがあるんですが、アメリカなどでは精神科に偏見が無く、逆に精神科にかかっていると言うと周囲の人が変に思うどころか「この人は大丈夫だ」と安心するそうですよ。日本と比べると全く逆ですよね。精神医学的に日本はアメリカより10年は遅れているんです。治療薬や精神科医の技量もですけどね。
今回のような可哀相なケースを無くすためにも、日本人の精神病に対しての偏見が、無くなることを心から祈っています。
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