私が大学病院の精神科病棟医だった頃に出会った患者さんの話です。
受け持ち医ではなかったのですが、
この患者さんの一件で私は内科に行こうと決心しました。
今、思い出しても非常に悔しいケースです。
その方は40歳台の女性で、元々躁うつ病という病気で、躁状態とうつ状態を何度も繰り返しておりました。
躁状態というのはうつ状態の反対で気分の高揚感や過活動、易刺激性の亢進などの症状を認め、ひどくなると暴力や暴言に発展するんですね。原因としては遺伝的なものと考えられており、元々の性格的には真面目な方がなることが多いです。
非常に長期にかかる、やっかいな病気で、躁状態とうつ状態をほとんどの方が10回以上繰り返すんです。私個人の意見としては精神疾患の中では一番厄介な病気ですね。
今回は、手がつけられないどの躁状態でしたが、彼女は妊娠しており、それも臨月だったんです。
直ぐに妊娠出産目的で入院となりました。精神的には、かなり重症で夫に対する暴力と暴言、誇大妄想、入院中も一晩中大きな声を上げ治療にも拒否的、医療者に対しても暴言や暴力、性的な言動などを大声で浴びせるような状態でした。
しかしながら、一晩中大声を上げ続けるというのは
非常に体力を消耗しますし辛いことです。
叫び声が彼女の悲鳴のようにも
聞こえたのを憶えています。
入院してからすぐに帝王切開で出産は無事に完了しましたが、躁状態が中々改善せず、手術後の安静も保てないので、ずっとベッドに四肢を抑制していたんですね。そのような状態が2、3週間くらい経った後、どういう訳か下痢が止まらなくなったんです。
内科の先生に相談して食事を中止し、点滴から少量の流動食という具合に徐々に変更するのですが、食事が始まるとすぐに下痢がはじまりました。ある夜、下痢による極度の脱水から身体状態が急変し、熱が全く下がらない状態になったんです。
再度内科の先生に相談したのですが、
こんなに暴れて大声を出すなら検査は出来ない
と言われ、状態が悪くなることを家族に早めに説明するようにと言われました。その内科の先生は優秀なのですが、精神科の患者さんが大嫌いな先生で、他の患者さんのことでもトラブルが耐えませんでした。
その後も状態変わらず、一向に内科の先生も検査はしてくれません。
どんどん状態が悪化していくのを見て、
この病院では助けられないと判断し、
内科の先生には頼まずに、
直接救命救急センターに
お願いすることにしたんです。
しかし、そのことを本人の夫や両親に
告げたところ、驚いたことに家族は搬送を拒否!
この大学病院の精神科で出来ることを
してくれれば良いと冷たく言われたのです。
私達にしてみれば、まだ若いし、
生まれたばかりの子供もいる訳ですから
冗談ではありません。
彼女の状態と、精神病のことを何度も説得しましたが、家族としては今までの精神状態に長期に付き合ってきたせいで面倒見きれなくなっていたんですよね。彼女の態度が、どうしても病気のせいだとは思えなかったのでしょう。
何度も話し合いをしているうちに身体状態が急変し、2日後にその方は亡くなりました。
死因は下痢による脱水と低栄養からDIC(血管の中で血液が固まってしまう致命的な状態です)となり多臓器不全を起したんですが、元々の原因は解りません。家族に病理解剖を勧めたのですが、それも拒否されました。
10年以上経った、今の私が彼女の症状経過を推測すると、恐らく長期間の抗生物質投与による「偽膜性腸炎」なのではなかったのかと考えております。
要は医原性の腸炎、内科医でも疑わないと解らない病気であり、診断は特別な便の検査と大腸鏡で簡単につきます。診断さえつけば、点滴抗生剤を中止し、内服の抗生剤(バンコマイシン)を投与すれば治る病気です。
恐らく今受け持ち医になったら、挿管して人工呼吸器につないでも、何が何でも消化器の医者に検査してもらうでしょう、してくれないなら自分で検査したと思います。
しかしその頃の私は内科を研修前でしたので、そんな知識も経験も手技も無かったし、内科の先生にも強く言えなかったんです。それに担当医でもなかったので深く関われませんでした。
今考えても悔しいです・・・
もし入院前に精神科的な治療がうまくいっており、精神的に躁状態でなければ、すんなり検査も出来たのでしょうし、家族も積極的に治療に同意してくれたはずです。
躁うつ病の患者さんは周期的にうつ状態になったり、躁状態になったりと周囲の人は対応が判らなくなるり疲労困憊するんですよね。
躁状態は平均3か月でおさまりますので、何でその時期と出産が重なったんでしょう・・・本当に運が悪いというか・・・この病気は社会的予後は統合失調症よりも悪いといわれております。ですから家族が治療や搬送を拒否する気持ちも何となくわかるんですが・・・
「何故もっと強く内科の先生に言えなかったのか?
自分にもっと内科の知識があれば・・・」
「何故家族に彼女の怒りや暴言は病気のせいと
納得をさせられなかったのか?」
と、後悔することばかりです。
生まれたばかりの子から母親を奪ってしまった・・・・。
もっと勉強して、とにかく内科の先生と対等に話が出来ないと、
これからもこのような患者は増えていくのではないか?
もっともっと色々な分野ことを勉強しなければ・・・・
そう思い、私は内科の研修医をすることに決めました。
彼女が亡くなった時、私は悔しくて一人トイレで泣きました。
その時のことは今でも覚えております。
でも彼女の死のおかげで色々なことを知り、
勉強して、今の私がいる訳ですから、
彼女には感謝の気持ちで一杯です。
彼女の命を救えなかった分、同じような患者さんを必死に救おう・・
それが彼女の供養になるのでは・・
今では勝手にそう思っています。
偉そうに言えた義理ではありませんが・・・
精神障害のために家族からも医師からも
見放されている患者さんは、
この人に限らず本当に多いです。
私達はどんなに嫌な患者さんでも、
「病気を憎んで患者を憎まず」
と自分に言い聞かせ診療しておりますが、
実際一緒に住んでいるとそうも割り切れないんでしょうね。
でも、そういう周りから見放された患者さんと、
その家族を救えるのは私達医療者だけなんです。
精神障害というのは癌や心筋梗塞などと同じような病気であり、決して恥ずかしいことでないということ、本人も家族も辛いということを一人でも多くの人が理解してくれるのを祈っています。
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