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患者さんとの思い出話
ほんとに勝手なこと書いてます。 
ここに出てくる患者さんの年齢、性別、経過などは
プライバシー保護のため多少変更しております。

  「末期癌患者に出来ること」
 
 
 皆さんはいきなり末期癌の宣告を受け、
 余命はあと3ヶ月と言われたらどうしますか?

 
化学療法や放射線療法をしたり、緩和ケア目的に家で過ごしたり、色々な選択肢がありますが、多くの場合その事実を受け入れるまでに、取り乱したり、自暴自棄になったり、抑うつになったりするのではないでしょうか?

 でも医師をやっていると、

自分の余命が前もって解るというのは、
決して悪いことではないような気がします。

死ぬまでに時間があるわけですから、
その間にやれること、家族に残すことも、
沢山あるのです・・・・




その患者さんは50歳代の男性で背部痛を主訴に来院、検査で肝臓の酵素値に異常があり、精査目的で入院になりました。会社の社長であり、外見や服装、言葉使いもしっかりした人でした。
でも何故か入院時にしきりに自分から、

「悪い病気であれば、必ず自分に伝えて欲しい」

と言っておりました。
 
 非常に気さくで礼儀正しい方で、私が会いに行くと、いつも笑顔で長々と色々な話をしてくれました。会社の経営のこととか、一回離婚したとか、前妻との間の子供が心配だとか・・・

何故か、あまり自分の体のことは心配しないんですよね。話をしていて、さすがに社長になる人は違うなと、感心しましたよ。

 
しかし、CT検査の結果診断は「進行性の膵臓癌」

背中の痛みはそのせいであり、胆管という肝臓から消化管につながる管(胆管)まで癌が浸潤し閉塞、それで肝機能障害が起きていると推測されました。

内視鏡で閉塞している胆管に造影剤を注入しその断片を調べ、閉塞を解除するためにステントという金属の管を細いところに挿入しました。それで肝機能はすみやかに改善したんです。
 
本人との約束通り、検査が終わってから、
そのことを本人と奥さんに告知し、
余命についても、持って3ヶ月、
と正直に伝えました。

 
奥さんはその場で泣き崩れましたが、本人は非常に落ち着いていたんです。その人によると背中の痛みは3ヶ月前からあり、徐々に増大、この痛み方は尋常ではないと思っていたのだそうです。
 彼は悪いものだと、ずっと感づいていたんですね。


 

 膵臓は
沈黙の臓器とも言われ、癌になっても自覚症状が出ることは少ないんです。健康診断でも早期に見つけることは困難であり、癌が胆管まで詰まらせて、痛みや黄疸などの自覚症状が出た時点で、すでに末期という方が多いんです。

 彼の場合も、もっと早くに病院に来ていても同じ結果だったかもしれません。本当に運が悪いとしか言いようがありません。


 
それから今後どうするか話し合いました。手術はもう出来る状態ではないため、抗がん剤や放射線による治療か、痛みだけ取る緩和ケアが選択肢としてはあるのですが、当時の膵臓癌に対する抗がん剤の効果は低く、完治はまず不可能です。

それに治療中は入院をしなければいけません。
効果なければ余命も変わらず、
残された貴重な時間を無駄にすることになるんです。
 



以上のことを説明し、その患者さんはしばらく考えて、
「もし、先生が僕の立場だったら、どうしますか?」
と聞いてきたんです。
正直困りましたが、自分だったら、効く可能性が低い化学療法よりは、
緩和ケアを選択すると伝えました。

そう言うとその人は笑って

「僕の選択と同じです。」

と答えたのです。

痛みが酷くなった時にはモルヒネを投与する、
何かあったら、いつでも相談に来ることを約束し、
翌週その患者さんは退院しました。

最後に、元気に「ありがとう!」と
私の手を握ってくれたのを覚えています。







 
それから約2ヵ月後に奥さんが、
救急車でその患者さんを連れてきました。


その時は全身に黄疸を認め、痩せ細り、
退院時に見た時とは、全く別人でした。
意識も朦朧としており、訳のわからないことを
叫んでいましたが、
私の姿を見つけると静かになりました。
 
 手を握り、
「○○さん、やるべきことは全部してきましたか?」
「少し入院して休みますよ。」と声をかけると、



その患者さんは・・・一瞬微笑んでから、
下を向き・・・ その直後に・・・・
吐血したんです・・・

そのまま意識を失い・・・

脈が触れなくなりました・・・・


まるでドラマのワンシーンを見ているようでした。



 横にいた奥さんに「先生何とかしてください!、何で何もせず、見てるんですか?」と半狂乱に言われましたので、一応蘇生してみたのですが、出血の量が物凄く、全く戻りませんでした。まあ、癌からの出血ですので、どうしようもないんですが・・






死亡後に奥さんから聞いたのですが、
退院後すぐに、自分の会社の後継者を決め、
別れた奥さんと子供の遺産相続について遺言を書き、
自分が亡くなっても誰も困らないように
一人準備をしたのだそうです。

 
その後2週間は自宅に篭り、奥さんとずっと一緒に過ごしていました。しばらくして夜も眠れないほど痛みがひどくなり、食事も食べれなくなり、訳のわからないことを叫んでいたそうです。

何度も奥さんが病院に行くように言ったのですが、本人はアルコールに溺れ、頑なに拒否していたんですね。

受診したら、自分の最期だと、
解っていたのでしょう。
 

病理解剖では膵臓癌が胃を食い破っており、
胃に溜まっていた血液もかなり古いものでした。
吐血したことで、新しく出血したんでしょう。
本当にぎりぎりまで家で頑張っていたんですね。


外見はしっかりしていても、もの凄く、
辛かったでしょう・・・
それに怖かったはずです・・・ 
本当に頑張ったんですね・・・・

彼の最期までの時までの気持ちを考えると、
思わず私も涙がこぼれそうになりました。
でも、本人にとっては
理想的な最期だったと思います。


 
医者になると必ずと言って良いほど、末期癌の患者さんには出会います。医学的にはモルヒネで痛みを取るとか、酸素で呼吸を楽にするとか、点滴をする、手を握る、背中をさするなどの処置しか出来ません。

でも、
きちんと診断と予後を伝え、
その人が受容するまでの時間や
出来るだけ自宅で愛する人と過ごせる時間を
作るのも立派な医療行為です。


 
末期癌の患者さんの多くは彼のように
自分のことよりも残される周りの人達の
心配をするんですよね。

そういう気持ちから彼らは「神」になります。

彼らの言葉や行動というのは本当に心に響きますし、
命の重さを痛感させてくれるんです。
そこから私達が学ぶことも多いですよ。



最期の時、彼が私に見せてくれた笑顔は、
一生忘れることが出来ません




私が内科にいた頃、2年間で40人くらい癌の末期の方を看取りました。
彼らの最期というのは本当に壮大でドラマティックです。
今でもその患者さん達のことは思い出し、

天国から見ていてくれている、患者さん達に、
恥ずかしくないような医療をしようと
心がけております。
 
 
 


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