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3.何故内科も?(精神科研修医時代) | |
子供の頃の親の呪縛から、「アダルトチルドレン」となった私にとって、
人を助ける医師という仕事は、まさに天職でした。 昔から自分が無く、自分に自信が無かった、こんな自分でも必要としてくれる人がいる・・・そういう訳で機能不全家族に育った私は共依存的な思考から、容易に仕事依存に陥ったのです。(今だから言えることですが・・・) 患者の為なら、自分はどうなっても良い、何でも出来るという考え方から、責任を持ってやるのですが、空回りし、突っ走り、失敗ばかりを繰り返しておりました。それで上司の女性の先生を泣かせたこともありましたよ。 精神科の研修に入り、一番最初に思ったのは、患者さんとの治療関係を結ぶことが非常に難しいということでした。実際患者さんに薬を飲ませることでも、病識のない患者さんには一苦労であり、場合によっては医療者に対し、暴言を吐かれたり暴力を受けることもありました。ちなみに一番最初に受け持った統合失調症の女の子は薬を飲ませまでに毎日一時間以上説得しました。 私のいた大学病院では、措置入院という自傷他害行為で警察に保護され入院する患者さんもいましたので、散々怖い思いもしました。一番怖かった思い出は警察から保護された覚せい剤中毒の患者さんに、目先10cmの距離で20分くらい話し合ったことがあります。そういう患者さん達に対し最初の頃は嫌な感情を抱いたりしましたが、実際は患者さんではなく病気のせいで、そうなっているんですよね。
病気が良くなって元に戻ると解るんです。そういう患者さんに、退院する時にお礼を言われたりすると、ここまで人は変わるのかと感激しますよ。患者さんから色々学ばせてもらい、忙しい日々の中でも病気の患者さんの気持ちになって、考えることというのは非常に難しいと痛感しましたよ。
勤めていた精神科病棟には保護室の他にも合併症ユニットという、いわゆる精神疾患があり、身体的に重篤な病気の患者さんのためのベッドがありました。例えば大声で叫んだり、他の患者に迷惑をかけるような患者さんは、どんなに体が悪くても、一般病棟では診れないんですよね。そのような患者さんは精神科に入院して、病気のメインの科の先生が往診という形を取るんです。 そもそも精神科の患者さんというのは意思の疎通が困難であり、自分の症状をうまく言えなかったり、多訴的であったりして、患者さんの診察を嫌う先生が多いんです。中には診療拒否や患者さんに叱咤する先生もいるんですよね。
実際私がいた時にも、全然診にきてくれない先生や暴れるから検査出来ない、とさじを投げる先生もいました。内科や外科が治療に消極的だと、こちらも何も言えないことに、憤りを感じずにはいられませんでした。
精神症状のため、きちんと検査や治療を受けることが出来ず、容態が悪くなる患者さんを何人も目の前にして、
他科の先生がきちんと診てくれないのであれば 自分で勉強して診るしかない。 身体的なことは全て他科の先生の言いなりではなく、 対等にこちらも意見が言えるようにならないといけない と思うようになったんです。 (詳しい内容は印象に残る患者さん「内科医の精神疾患患者に対する偏見」をご覧下さい) 現代の医療では細分化つまり自分の専門の科という概念が強いのですが、専門の科になる前に、医師としての幅広い知識も学ばなければいけないと思ったんですね。
そういう理由から私は麻酔科、救急センターの研修後、異例ですが上司にお願いして、医師4年目にしてもう一度内科の研修医という形を取ったのです。その時には、あんなに辛い経験になるとは思いませんでしたが、その時の選択は決して間違っていなかったと今では胸を張って思っています。
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