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「父親なんか・・早く死ねばいいのに・・」 診察室で彼女はこうつぶやきました・・目には一杯の涙を浮かべて・・ 彼女が幼い頃から彼女の父親はいつもお酒を飲んでいました。飲んで・・暴れて・・・殴って・・寝る。そしてまた目が覚めると・・また飲んで・・ 当然仕事はしておらず、父親の両親の仕送りと母親がパートで稼いだ少しのお金で必死に生活していたんです。でも大半は父親のアルコール代に消えていきましたから、借金ばかりが増えていったんです。 そういう訳で彼女は幼い頃から貧乏でした。いつも同じ汚い服を着させられ、欲しいものも買ってもらえず、ろくな食事も与えられず・・・給食費を滞納して同級生からからかわれる事もあったそうです。 でも、朝から晩まで必死に働いている母親を見ていると、どうしても文句が言えなかったんですね。 そして彼女が8歳の時に衝撃的な事件が起こります。 ある夜、母親と寝ている時に、酔った父親が、いきなり部屋に入ってきて、突然母親の頭部を蹴飛ばし、踏みつけました。大声を上げて、何度も・・何度も・・血だらけになって、意識がなくなるまで・・・彼女はその光景を目の前にして、何も出来ず、部屋の隅で泣きながら、ただ震えていたといいます。 母親は軽い脳震盪ですみましたが、次の日から彼女は父親が怖くてしょうがなくなりました。とにかく父親を怒らせてはいけない・・家が貧しいことにも決して文句を言わず、欲しいものも欲しがらない・・ 父親にいくら殴られても決して泣かない。 学校でどんないじめにも耐え、自分がどんなに惨めでも、 下を向かないように生きていこう・・・ 母親と姉を守りながら、必死に感情を押し殺し、 我慢しながら精一杯頑張ろう・・ 幼いながらに、彼女は心にそう誓ったんです。 そういう訳で、頑張り屋となった彼女は中学校を非常に優秀な成績で卒業、奨学金とアルバイトで高校にも進学しました。とにかくお金を稼げるようになって、大学に進学し、早く家を出たい・・・ そのことだけを考え、遊びにも行かず、恋人も作らず、ひたすらにアルバイトをしていたんです。 それから、奨学金とアルバイトで大学に進学し、卒業後はIT関係の会社に就職、そして逃げるように念願の一人暮らしを始めたんです。仕事面でも非常に真面目で優秀でしたので、すぐに昇進し、20歳台前半でも月に30万円も稼げるようになったんですね。 しかし・・彼女が家を出てからすぐに、父親は体調を崩してしまいました。 病名は肝硬変・・原因はアルコール・・まあ、自業自得ですよね。 病気になっても飲酒は止まらず、入退院を繰り返すようになり、母親は何度も病院に足を運ばなくてはいけなくなったんです。そのためパートの仕事が出来ず、これ以上借金も出来なくなり・・・・結局・・・娘達に泣きつきました。 彼女の姉はもう嫁いで子供もいたのですが、夫の稼ぎが良くないため援助出来ないと・・・それを聞いた彼女は、今までずっと苦労している母親を不憫に思い、自分が助けるしかないと・・・ そして、なんと月に18万円ものお金を父親の入院費、母親の生活費のために、実家に送ることにしたんです。 30万円の給料の半分以上を親に送り、残った12万円で残りは家の家賃と生活費です。それゆえ彼女の生活は非常に切り詰めたものになりました。 一生懸命に働いているのに、自分の好きな服は買えず、化粧品も一番安いもの・・友達からの飲み会の誘いも断り、彼氏も作らずに、極力無駄なお金は使わない。頼まれた残業は一手に引き受け、朝早くに出勤し、いつも帰りは終電でした。 仕事に依存、没頭することで、 必死に自分を保っていたんですね。 そんな生活が2年くらい続いてから、ついに父親は危篤状態になりました。結局アルコールを止めることが出来ずに、肝臓、腎臓、心臓と次々と悪くなり、最後には透析を回して寝たきりの状態になっていったんです。 父の状態が悪くなるたびに、母親から泣きながら電話が来るようになりました。母親を励ましつつ、両親の為にさらに必死に働き、彼女の体力は徐々に限界が近づき、精神的にも情緒不安定になっていきました。 慢性的な疲労感が取れず、仕事の前に急に気持ち悪くなったり、過呼吸発作を起こし、情緒不安定から過食やリストカットも繰り返すようになりました。 このままでは仕事が出来なくなると危機感を感じ、精神科を転々するんですけど、どこの病院に行っても、「うつ病」と言われ薬を出されるだけ・・・ 一向に良くならず、最後に私の所に来たんです。 「母の人生を考えると、本当に馬鹿みたいだと思います。 早く父親が死んでくれれば母も楽になるのに・・・」 彼女は涙ながらに訴えていました。未だに8歳の夜のことを思い出し、夜怖くて眠れなくなるといいます。会社で怒鳴り声を聞いたり、テレビドラマで暴力的なシーンを見るだけで、体が震えてきてしまうんです。 彼女の話を一時間程聞いてから、診断としては「適応障害」ですが、 ベースの性格を考えると「アダルトチルドレン」 いわゆる「サバイバー」・・過酷なストレス環境での生還者、 そして典型的な「PTSD」・・・原因は「親の呪縛」です。 身体的にも疲れ切っており、精神的にかなり不安定でしたので、ストレスから遠ざける意味でも親と連絡を絶ち、仕送りも減らして止めるように勧めたのですが・・・(両親には生活保護の申請を勧めました) お金を送ることで、いつか父親は自分に謝ってくれる・・ 母親が誉めてくれる、自分を抱きしめてくれる・・ 母親だけでも見捨てることは絶対に出来ない。 だから絶対にお金を送りたいと・・・・・。 涙をこらえ、歯を食いしばりながら そう呟いた彼女の顔はまるで幼い少女でした。 今まで、この子は、どんだけ我慢して・・・ どんだけ頑張ってきたんだろう・・・ 決して報われない幻想の為に・・・ 両親はどこまで・・ この子を食い物にするんだろう? 今までの経過を長時間聞き入り、彼女の過酷な運命を考えると、 私も思わず泣きそうになるのと同時に、 彼女の両親に対する物凄い憤りを感じました。 診察机の下で強く握りしめ、 震わせた拳を彼女に隠すのに必死でしたよ。 彼女のように親を恨んでいても、 最後には面倒をみてしまう人・・ 非常に多いです。 私は同じような過去を持ち、20歳代前半で自分の体を売り、月に70万円もの大金を両親に送っていた患者さんも診たことがあります。その彼女の両親も何の躊躇もなく、その金額を受け取っていると聞き、ゾッとしたのを覚えています。 彼女達はお金を送ることで親から見離されていない、 親は自分を頼りにしてくれるという安心を買い、 いつか親が自分に謝る・・生まれ変わってくれるだろう という幻想に支配されているんです。 切ない話ですが・・・・ アルコール依存症の家族からなるAC(いわゆるACOA)の場合、問題があるのは父親ではなく、むしろ母親の方なんです。 アルコールに溺れる夫を捨てられずに、子供に責任転嫁し、 死ぬまで夫のアルコールに付き合い、自分の人生も破滅させてしまう・・・ さらに自分の身代わりを子供に押し付ける・・・ もし娘を本当に愛しているなら・・・夫や自分のことで娘の人生を犠牲にするなんて考えられません。 母親は娘達の為に、夫を捨てなければならなかった んだと思います。もし捨てることが出来なくても、 「私達のことは、放って置いていいから、 あなたは、あなたの人生を生きなさい」 その一言を母親が彼女に言うことが出来たら・・・・・・ 彼女の人生は変わっていたかもしれません・・ でも彼女の母親も恐らく彼女と同じAC・・・ もの凄い苦労をしてきたんでしょう。 そして父親にも、お酒に溺れなければいけない理由があったのかも・・・。 仮にそうだとしても、何とかして彼女の代で この最悪のAC連鎖を断ち切らないといけません・・ 彼女には以下のことを伝え、必ず良くなることと、 今後も外来に来ることを約束しました。 「あなたの親は絶対に変わらない・・」 「あなたが必死に追い求めているのは幻想です・・・・」 「変えるのは親じゃなくてあなた自身・・・」 「親の為に生きるのではなく、自分の為に生きること・・・」 「そして自分を許し、自分を好きになって褒めてあげること。」 「父親が死んでもその呪縛は決して外れない・・・」 「あなたが変わろうと思わない限り・・・」 P.S.彼女は私の所に2年くらい通い、自分で過去の自分と向き合う作業(グリーフワーク)を行い、非常に良くなりました。何とか親の呪縛も断ち切り、今は結婚して一人子供を出産し、幸せに暮らしております。 |
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