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Adult Children Storys

患者さんとの思い出話 番外編

ここに出てくる患者さんの年齢、性別、経過などは
プライバシー保護のため変更しております。

 Case3.誰かの為に生きるということ。
 


 
「自分の為に生きるのでは無く、誰かの為に生きる」

皆さんも昔からどこかで聞いたことがある台詞ですよね。
日本人の基本的な考え方・・・人として、最も尊い考え方だと思います。
私も昔「患者の為に生きる!」と思っていました。

しかし、誰かの為に生きるということは、その誰かがいなければ実行出来ないということにもなります。
誰か頼ってくれる人がいないと、自分の生きている意味がないとも取れ、
極論で言えば「人は一人では生きていけない」ということにもなります。

国語の教科書や倫理の授業、金八先生でも聞いた事のある台詞ですが、
果たしてその考え方は間違っていないのでしょうか?
今回はそんな彼女の物語です。





彼女は三姉妹の末子で

彼女が3歳の時に母親は子供3人を残して、
突然家を出て行ってしまいました。

その為、彼女には母親の記憶がほとんどありません。
しかし父親は非常に真面目で責任感の強い人でしたので、
母が出て行っても再婚せずに、すぐに勤めていた会社を辞め、
時間に融通が利く自宅での自営業を始め、
娘3人を男手一つで必死に育てたんです。


彼女はそんな父親を尊敬しており、

自分の為に必死に仕事をしている
父の後姿をいつも見ていました。




ですから、授業参観や運動会に一度も父親が来なくても、
泣き事一つ言わず、気丈で明るい子供だったんです。
クラスでも人一倍、気配りが出来る人気者で、
先生にもいつも褒められてばかりいたんです。

自分たちの為に頑張っている父親に褒められる為に、
母親のいないことに文句一つ言わず、寂しい姿を見せず、
明るくて聞きわけの良い優しい娘として、
父親が寂しい思いをしないようにと必死だったんですね。
本当に
強い女の子だったんです。





しかし彼女の父親は彼女が10歳の時に
急性肝炎で亡くなってしまいました

原因はウイルスと過労でした。





あれほど尊敬していた父を亡くし、
姉妹3人で悲しみながら、途方に暮れていた頃、

今まで音信不通だった彼女の実の母親が,
突然現れました。
子供3人のうち、下の2人を引き取りたいと・・・


突然自分達を捨てた母親が今さら何を?

と姉二人は非常に憤慨し、同居を断ったのですが、
末の彼女はまだ幼く母親の記憶も曖昧です。
姉達にもまだ妹を養育する力が無い為、
結局彼女だけが母親と暮らすことになったんです。



彼女の母親は夫と子供を捨て、家を出てすぐに他の男性と同棲し、
新しい家庭を築いていました。
しかしながら母親の再婚相手は同棲を始めてから
人が変わったように暴力的な一面を見せ、
酔った勢いでいつも母親は殴られていたんです。


そういう理由で
彼女の新しい生活は
非常に窮屈なものになりました。

親の期待を裏切らないように必死に勉強し、
中学校は無事に卒業しましたが、一般の高校は経済的に苦しく、
定時制の高校に通うことになったんです。

昼間は自分で仕事をして、自分で学費を稼ぐ、
勉強と仕事に明け暮れる日々が始まりました。
しかし、その頃からどういう訳か、過食や拒食、
過呼吸を繰り返すようになり、
優しく接してくれる年上の男性に魅かれ、
何人もの男性と付き合うようになったんです。




そして彼女は16歳の時に妊娠をします。




そのことを母親に伝えると母親は激怒し、
中絶を迫りますが彼女が納得しないと、

「もう私の娘ではない」
と、
その男性のところに乗り込み、
こんなキズ物の娘、引き取って下さいと、
あっさり娘を追い出してしまったんです。




かくして、彼女は16歳で妊娠し、その男性と結婚、
子供も3人授かり、これから幸せな家庭を夢見ていました。

夫も家族を支えようと、必死に働くんですが、
性格的には非常に幼く、徐々に仕事をしなくなり、
うまくいかないとアルコールに溺れ、
彼女に暴力を振るうようになったんです。

そんな旦那と子供たちを支えようと彼女もホステスをして、
家計を支えるんですが、
彼女が家を空ける時間が増えるたびに、
旦那の暴力はエスカレートするばかり・・・
このままでは自分の子供達にも被害が及ぶ・・
色々と悩んだ挙句・・・

ついに彼女は24歳の時に離婚することになるのです。





その後は母一人で子供3人を必死に育てます。
頼る家族もなく、今さら自分を追い出した母親に
泣きつく訳ににもいきません。
離婚をしてすぐに仕事を増やし、
仕事と育児と家事に明け暮れる日々が続きました。

女手一つで、まだ幼い
3人の子供達を育てなければならない・・・、
育児を経験した人なら解ると思いますが、
並大抵の努力ではなかったと思います。


しかし彼女は、それをやってのけたんです。

女性ながらにきつい力仕事や、水商売までお金になることは
なんでもしました。そんなストレスが溜まる環境でも、
子供達がいるだけで。
精神的には非常に落ち着いていたんですね。

この子達には自分しかいない、
この子達の笑顔が見れるなら、自分はどうなってもいい・・・
そう思い必死に頑張る彼女の姿は、
今は亡き
彼女の父親と同じでした・・・・




生活は貧しかったですが、彼女の頑張りのおかげで
何とか子供達は順調に成長しました。

そういう姿をずっと傍で見ていた子供達にとって
彼女は
「何でも出来る素晴らしい母親」
「強くて自慢の母親」

になっていたんです。





子供達も皆成人し、仕事も落ち着いてきた40歳の時に、
彼女は友人の紹介で知り合った年下の男性と
付き合うようになりました。
彼はお酒も飲まず、全く暴力も振るわない、
真面目な優しい男性でした。

彼と一緒なら、幸せな家庭を築けるかもしれない・・
そう思い、彼女は仕事をきっぱり辞め、彼と結婚、
専業主婦として彼と一緒に暮らし、
彼の生活を支えることにしたんです。

その時に、子供達は、母親の掴んだ幸せを邪魔してはいけないと、
気を利かせて、一緒には住まないことにしたんですね。



かくして彼女の新しい生活が始まりました。
夫はシステムエンジニアの仕事をしており、
朝は早朝から仕事で、帰りが極端に遅いんですね。
平均睡眠時間は5時間くらい・・
そのため休日は疲れ切って横になってました。

彼女はずっと仕事をしてきた女性とは思えない程

家事を完璧にこなしました


朝は夫よりも先に起きて、食事やお弁当を作り、
毎日掃除洗濯をし、いつも家中、塵ひとつ落ちていませんでした。
そして毎晩夕食を作り、遅い夫の帰りを一人待っている日が続きました。



そんな生活が3ヶ月くらい続いた頃・・
彼女の体調に異変が生まれます。
頭痛や眩暈、全身倦怠感を認めるようになった
んです。
彼の生活リズムについて行けず、
頑張りすぎて、疲労が溜まったのでは・・・

彼女はそう思い、しばらく間、子供達の元に帰ることにしました。
夫の家と子供達の家を行ったりきたりしながら、
休むようにしたんです。それで体調は改善したんですが・・

 ある夜、夫から電話がかかって来ました。
「帰ってきて欲しい・・自分一人で生きていけない・・ 
 このままでは自殺してしまいそうだ」と・・


その言葉を聞いてから・・・不安、緊張が酷くなり、
彼女は過呼吸発作を頻回に認めるようになり、
布団から起き上がることが出来なくなったんですね。
子供達もそんな母親を、必死に励ますのですが
一向に良くなりません。




娘の所で引きこもる生活になって3か月が経った頃、
そのことを何処からか知った母親から、
20年ぶりに一通の手紙と現金が送られてきたんです。

手紙には一言、

「私に出来ることは、これくらいです。」

と・・・・

彼女はその手紙を見た瞬間に、過呼吸発作を起こし、
意識を失い、救急車で病院に運ばれました。


ここで彼女は初めて精神科に行こうと決心します。
今の状態では夫を支えることが出来ない。
病気なら治せば何とかなるのではないかと・・

最初に行った病院では「うつ病」の診断で、
多種多様の薬を処方されたのですが、一向に良くなりません。

巡りめぐって私の所に来た時には、疲労困憊しており、



「どうして私ばかりこんな目に遭うんですか?
 今まで一生懸命に私は生きてきました。
 どんなに頑張っても、
 私は幸せにはなれないんでしょうか?」



目に涙を浮かべて、悔しそうに訴えていたんです。



彼女の話を聞いて一番に感じたのは、彼女には

父親の姿がずっとつきまとっている

ということです。

彼女の父親は母親が出て行ってから、
長年務めてきた会社を辞め、時間に融通の利く自営業に転職。
誰にも頼らず
男手一つで娘3人を育てる・・・
中々出来ることではありません。
母親がいない分、彼女の中では
理想の父親だったんだと思います。


その完璧すぎる父親像を見ていたせいで、
彼女は幼少時から、人に甘えることが出来ず、
逆に周りを支えようとするんです。

我儘も言わず、とにかくいい子に・・・
困難に巻き込まれても何とか自分の力で解決しようとするんですね。
そういう真面目で我慢強い性格のおかげで、
前の夫の暴力にも、辛い仕事も育児にも
耐えることが出来たんだと思います。


そして父親と同じように
「子供の為に生きる」
という選択をし、
「自分の存在は子供の為にある」
という共依存的思考から見事に同じ道を歩み、

理想の母親になることが出来た
んです。

本当に称賛されるべき生き方だったと思いますよ。




しかし、彼女の思考には一つだけ大きな弱点があります。それは

誰かに頼られていないと、自分の存在価値がない」
ということです。

幼少の頃から彼女には生きる為の使命がありました。
父親を支える、いい子でいる、子供を育てる為に仕事をする・・・
支えなければいけない人が傍にいるという中で
彼女は自分自身で生きている意味を見出し、
辛い状況でも頑張ることができたんです。



それが40歳になり、子供たちが自分の手から離れると
同時に仕事を辞める。本来であれば、新しい夫の為に生きるはずが、
夫は仕事が忙しくあまり話もしないし、一緒にも居れない・・・
「夫にとって、自分は本当に必要な存在なのか?」
と一人悩む日々が続きました・・・


そこで彼女は自分の存在意義が解らなくなってしまい、自分にとって

子供と離れて、仕事をせずに家に居る事が、
とてつもなく苦痛

だというこに気がつきます。

それで体に不調をきたしいわゆる
「適応障害」を起こしたんです。

 
彼女にしてみれば、子供の為だけに生きていた、過去の
忙しかった日々の方が精神的には全然楽だったんですね。
その後娘の所に戻り、症状は少し改善したのですが、
夫からの呼び出しが入り、またあの生活に戻ることに
拒否反応を起こしたのだと思います。



さらに彼女にとっての母親の存在というのは
自分の好き勝手に生きており、まだ幼い子供3人と
父親を捨てた後に、男性関係で苦労している。
そして妊娠したからという理由で、家を追い出される。

到底彼女には真似の出来ない、後先考えず、
感情だけで生きているような人だったんでしょう。
恐らく彼女の中では、
軽蔑と嫌悪感、憎しみさえ感じる存在だったはずです。

そんな母親から援助されるというのは、
彼女の心の中では
絶対にあってはいけないこと
だったんだと思います。
(実際、心の奥底では無意識に
 母の助けを求めていたのかもしれませんが・・・)




彼女のように誰かの為に必死に生きて、
仕事をしていないと不安、動いていないと不安
というのは共依存的な思考、ACの特徴でもあります。

 そのような気持ちの奥底にあるのは

「自分に自信がない」
ということです。

彼女達の中には自分勝手や、自己満足という言葉は存在せず、
常に誰かの為に、走り続けていなければいけない、
立ち止まること、怠けることは許されない。
ありのままの自分で生きることに罪悪感を持っているんです。


しかしながら
人間には誰でも長所短所があり、
調子の良い時もあれば、悪い時もあるんです。

時に我儘になったり、誰かに甘えたり、休んだり、
怠けたりすることもストレスを溜めない為、生きていく為には
必要なことなんですよね。



そして人生で一番大事なのは他人からの評価や、
依存対象や運命共同体でもなく
「自己満足」です。

たとえ誰からも必要とされていなくても、
自分で自分は偉い、頑張っていると思えれば
人は生きていけるんです。
そしてそれこそが真の
「幸せの正体」なんです。

 


彼女の人生も、もう少し父親が立派ではなく、
いいかげんな姿を見せてくれていたら・・・

母親が中途半端な愛情を注ぐのではなく、
ずっと彼女の傍にいてありのままの彼女を
受け入れてくれれば・・・・

そして彼女自身が娘や夫の為に生きる以外に
自分の生きる道を見つけていれば・・・、

彼女の人生も変わっていたのかもしれませんね。






 P.S.彼女は共依存とACについて非常に前向きに理解してもらい、その後2〜3回の通院で来なくなりました。共依存について自分で調べ、非常に納得したというところまでは聞きましたが、その後はどうなったのか解りません。頭の良い彼女なら、少し考え方を変えて「自分の為だけの人生」の第一歩を踏み出しているものと信じています。
 
 
 


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