仁和医院
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私の診断、治療法
仁和医院 院長 竹川 敦
 

 子供の発達障害について
この記事は専門的用語が多いため、
先に発達障害とは? 大人の発達障害の記事を読むことをお勧めします。

はじめに・・

私がホームページに、大人の発達障害の記事を、初めて書いてもう18年、何度も書き直しをしておりますが、それを読んで、大勢の発達障害の患者さんが当院に来院し、非常に沢山のケースを、診させていただきました。今はメンタルで診ている患者さんの、9割以上が発達障害、という状況になっております。多くの患者さんから、自分の親も診て欲しい、子供も診て欲しいと、下は6歳から、上は80歳まで、色々なケースを経験させていただき、私も勉強になりました。 

そういった中で、同じ就労能力(IQ)でも社会適応出来ていないケースと、出来ているケースの何が違うのか?、ということを、ずっと考えておりましたが、その理由の一つに、小児期に診断されていて、療育に乗っているケースの方が、大人になって診断されたケースと比べ、圧倒的に社会に適応しているという事実に気が付きました。

小児期に診断されたということは、早い時期に幼稚園や学校で不適応を起こしている訳ですから、言語の遅れのある自閉症や、多動衝動性の目立つADHD、知的障害を併発しているなど、発達障害の中でも重度な子供たちが多いはずです。逆に言語の遅れのないアスペルガーや、多動の目立たないADHDなど比較的症状が軽い方は、小児精神科でもグレーゾーンと言われたり、問題ないと見逃され、放置されることが多く、社会人になってから、やっと診断がつくケースが多いです。

普通に考えれば、重症で知的レベルが低い子供たちの方が、就労の幅が狭くなり、大人になってからも不適応を起こし易いと思うのですが、実際は、幼少期に診断をされ、支援級や療育に繋がり、病院でカウンセリングや薬物療法を受けていた患者さんの方が、成人で診断される人よりも圧倒的に社会的予後は良いんです。

 さらに知的障害があって、療育手帳を持っている方の方が、高知能で診断されなかった発達障害の方よりも社会的予後が良かったです。簡単に言えば、幼少時から支援級や療育に通っていたケースの方が、気付かれず普通級に通い、成人して社会に出てしまったケースより予後が良いということになるんですね。

 発達障害や知的障害の社会的な予後を左右するのは、精神症状の有無や、その子の作業能力ではなく、社会性のモラルやルール、他人と上手くやっていけるコミュニケーション能力である
ということに気が付きました。

小児期は脳内のシナプスネットワークが未熟ですので、早い時期に見つけ、療育やカウンセリング、コグトレや薬物療法などで、感情のコントロールの方法、嫌いな人との付き合い方、言語の理解、知覚統合や作動記憶の強化が出来れば、シナプスの発達方向が変わり、将来の社会適応力が上がる。

それが発達障害の、唯一の根本的な治療ではないのか?



そういう訳で、今回は子供の発達障害の話です。因みに私は児童精神科で、働いたことがありませんので、専門的なことは解りません。あくまで私見ですが、発達障害の子供の育児方法というのは、発達のあるなしに関わらず、全ての子供の育児にも有用であると考えております。精神科医であると同時に一人の父親の視点でも、書いていこうと思います。




1.診断と病院受診

 

発達障害の原因は遺伝であるゆえ、親が発達障害で子供も発達障害というのが一般的であるが、遺伝率は100%ではない。親が診断されれば、子供も可能性が高いが、中には、両親に全くその傾向がないケースも見受けられる。以下は、私が外来で遭遇した患者さんの親から、聴収した小児期の特徴である。

 

出生〜乳児期:笑いかけても視線を合わせない、授乳困難、抱っこをしてものけぞる、夜泣きや癇癪がひどい、言語の発育が遅い、もしくは早すぎる、ハイハイをしないでいきなり歩行する、つま先歩き、ライナスの毛布、固定のぬいぐるみ、頑固な偏食、スキンシップを嫌がる、首のきつい服を嫌がる

 

幼児期:おもちゃ、服装、食事にこだわりが強い、何時間でもゲームに没頭出来る、登園拒否、分離不安強い 場面緘黙(家以外では一言もしゃべらない)、オウム返し、チック症状 相手を選ばず話しかける、いきなり迷子になる、一人で交通機関を利用するなど、突飛な行動が多い、妖精や小人などの幻視体験、抑揚のないしゃべり方

 

ままごと、ごっこ遊びが出来ない、ミニカーを縦に並べて遊ぶ、タイヤや扇風機など回るものに執着する、電車や工事車両をずっと見ている、字が汚い、微細な運動が出来ない、ボール遊び、縄跳びが出来ない、重力不安、記憶力、言語能力、暗記力が異常に高い、知覚過敏(大きな音、光、匂い、味覚、締め付けのある服が苦手など)

 

学童期:自分から友達を作ろうとしない、人に興味がない、不登校 過去の嫌な記憶をずっと覚えており、クラス替えや転校しても不登校は変わらない、時にフラッシュバックを起こす。成績の凸凹 忘れ物、失くしものが明らかに多い、提出物を出さない、前日の準備が出来ない。夏休みの宿題を計画的に出来ない。

 朝一人で起きてこない 居眠りが多い、片付けが出来ない、球技(チームプレイ)が出来ない、授業中に突飛な発言、質問攻め、立ち歩き、貧乏ゆすり、抜毛、爪かみ、起立性調節障害、過敏性腸炎、自家中毒、片頭痛、シャッターアイ(一読で教科書を丸暗記出来る)、絶対音感

 

因みに、この中で不登校や引きこもりの原因になるのが、
嫌な記憶を消去出来ないことと、思考の多動、フラッシュバックである。

 先生からの指摘や、友人からの心無い一言、例え体罰や虐めでなくとも、一度嫌な経験として本人が認識してしまうと、そのことが消去出来ず、脳内でグルグル回り、時にフラッシュバックとして再体験し、通学困難となる患者は多い。さらに家に引き籠ることで症状は悪化し、負のスパイラルを繰り返してしまうのだ。

 

上記の症状が、いくつか認められるのであれば、発達障害の可能性があるが、すぐに病院に連れていく必要はない。先にも書いたが、発達障害は性格の問題であり、基本的に治るものではない。

仮に連れて行って発達障害と診断されたとしても、
今現在、社会性を勉強できる環境(幼稚園、学校)に行けていて、
他人に迷惑をかける問題行動が、無いのであれば、
経過観察が基本である。

慌てず、焦らず、これから述べる発達障害の育児法を実践して頂きたい。

 

 

2.子供の発達障害の治療の考え方

 

衝動性や不注意が酷く、作動記憶(動作中の記憶力)が低い子たちは、とにかく躾が入らない。「どうしたら解るようになるのか?」「どうして、いつもだらしないのか?」「自分の育て方が間違っていたのか?」と、追い込まれて相談に来る両親は非常に多い。

 

先にも書いたが、発達障害に、家庭環境や育て方は関係ない。(虐待やネグレクトなどの特殊な環境では愛着障害を起こす可能性もある)不安定になる親のほとんどは、子供と同じ、発達障害を持っている事が多いが、他の子供と比べることで、自分の子供が出来ないことに目が向き、その劣等感から自虐的となり、容易に虐待、暴力やネグレクトに繋がるのである。

 

 私の経験では、子供に興味が無く、虐待をする親、毒親、もしくは被虐待児のほとんどは発達障害である。
毒親というのは子供を常に否定し、褒めず、管理し、絶対に子供に謝らない親のことである。そのような家庭環境で育つと、自我が発達せずに、常にびくびく周りを気にする子供、いわゆるアダルトチルドレンや共依存の子供を作ってしまうのだ。(アダルトチルドレンの項参照)何があっても暴力、虐待、恫喝 否定的な言葉は避けた方が良い。

 

 
発達障害の基本治療は、対人コミュニケーション、社会性の練習、自己肯定感の強化であり、社会的、人間的な自立が治療の目標
である。

社会性とは人間関係スキルの事であるが、大きく分けて二つある。一つは職場や学校での社会での人間関係であり、基本は挨拶、謝罪、謝礼であるが、表面上の付き合い、聞き流し、見て見ぬふり、苦手な人との付き合い方などが含まれる。

 これが出来るか出来ないかで、その子の社会適応能力が決まる。高学歴 高学力、高知能であっても、表面上の人間関係スキルが低ければ、長期間、組織に属することが困難となり、その能力を生かせないことが多いのだ。

 

表面上の、人との付き合い方というのは、家庭内という狭い環境では、教えることは出来ない。幼稚園や学校などの集団に属することで、失敗を繰り返し、人との距離感やルール、モラル、自分の感情のコントロールを学ぶのである。

 親に発達障害があり、子供も症状的に怪しいと思ったのであれば、
幼稚園を待たずに、出来るだけ早い年齢で、託児所や保育園に入れ、分離不安が起こる前に、そこで社会性を学ばせた方が良い。それ以外でも、塾や、幼児教室、習い事や親戚付き合いでも、親以外の人と接する機会を増やすことが大事である。

 

もう一つは、プライベートな人間関係、例えば、家族、親友や恋人などとの友情や愛情、親密な関係である。これは生きていく上で、絶対に必要という訳ではないが、人生を楽しむためには必要な要素の一つである。

 

親密な人間関係を、築くために必要なのが、自己肯定感と、困っている人を助ける、思いやりの心、慈愛の心、共感する心、自己犠牲の精神であり、その人の価値を決めるもの、人として、最も尊いものであると私は考えている。

 それを直接的にでも、間接的にでも、子供に教えることが出来れば、その子の未来は、必ず明るいものになるであろう。それが子供の発達障害の治療で一番重要で、かつ最も難しいことであると私は考えている。(後述)


  発達障害であっても、社会生活(学校、仕事)を送れており、本人が自己肯定感、自己満足を得て、生き辛さを感じず、他人に迷惑をかけていなければ、治療や療育は全く不要である。

もし今現在、わが子が、社会性を学べない環境にいるのであれば、親だけでも医療機関や児童相談所、療育センターなどで相談や、自分で書籍などを購入し、発達障害の特性を調べ、育児法、対応法を勉強して欲しい。自閉症や発達障害の子供たち、自分の子供が見ている風景や、独特の世界観、考え方は、親として必ず知っておいてもらいたい。

 
 今の状態から推測して、将来親が居なくなった時に、この子はやっていけるのか?一人で生きていけるのか?

将来のわが子の生活を具体的にイメージして欲しい。
それがイメージ出来れば、やること、子供に教えなければいけないことが、具体的に、見えてくるはずである。(イメージできる親は優秀である) 


 医療機関や療育センターで、知的障害や発達障害の診断がつけば、躊躇せず療育手帳、もしくは、精神障害者手帳などを取得し、支援級やフリースクール、療育施設を利用し、社会性を学びながら、本人のスピードに合った、教育や療育を受けさせることが大事である。
とにかく、親が死ぬまでの間に、自立が出来れば良いのだ。

 

 

3.ルール設定

 

何度言っても言うことを利かない、落ち着きがない、整理整頓が出来ない、だらしがない、勉強しない、すぐに癇癪を起こす、1日中ゲームばかり、私が診察の時に良く聞く母親からの嘆きである。

 その中でも発達障害の子供たちは、とりわけ躾が入らない。というか、不注意、多動、衝動性、聴覚での情報処理困難、常同思考、過集中、などの性格特性を考えれば、何度口で言っても、厳しく叱っても、覚えていない、言うことを利かないのは当たり前である。

 

私が発達障害の子供を持つ親に、まず伝えるのは、
絶対に周りの子供と比べないこと、
この年齢なら出来て当然という、固定観念を捨てること

である。そもそも、生まれつき先天的に、脳の構造が違うのに、定型発達の子供と同じように扱うのは無理である。自分の子供は、他の子供と生まれつき脳の構造が違う、という認識から入り、それは今後も変わらないという前提で、躾をしていくことが大事である。

 

私が良く勧めるのが家庭内や学校内でのルールを文章化もしくは図画化し、各部屋の中に貼り、約束ノートを作成し、必ず報酬と罰則を設定することである。同時に親も子供の意見を聞き、親にやって欲しくないこと、言われたくないこと、(NGワード集)などを具体的に作成し、同様のルールを設定すると良い。
「お母さん(お父さん)も守るから、あなたも守ってね」
と伝えると非常に説得力がある。

 

ルールを作る時には、常に具体的な内容であることが、大事なのであるが、最初から細かいところまで作る必要はない。いきなり沢山のルールを作っても守れる訳がないので、挙げたルールに優先順位をつけ、最低限のルールから徐々に増やしていくことが望ましい。

 

社会生活を送る上で、一番大事なのが、時間の管理である。
発達障害の人は元々脳内のドーパミン、ノルアドレナリンなど、覚醒させる神経伝達物質が少ない。それゆえ、朝起きれない、日中眠くなるという症状で、会社や学校に行けない人は非常に多い。

 朝起きなければ、登校はおろか、リハビリも通院も、支援センターの利用も何も出来ない。とにかく、何時までに一人で起きたら、お小遣い、起きなければ罰則というルールから始めて欲しい。起きてから朝食までは、ゲームの時間というのも良いだろう。時間の管理さえ、出来るようになれば、将来遅刻をすることがなくなり、それが食事習慣、栄養管理にも繋がるのだ。

 

朝起きることが出来てから、歯を磨く、顔を洗う、服を着替える、体を洗うなどの身だしなみ、清潔管理を設定して欲しい。不潔で汗臭いと周囲の人を不快にし、いじめられる原因にもなる。歯を磨かなければ、口腔内が不潔になり、虫歯や病気になりやすい。子供の頃から、体を清潔に保つ習慣は、徹底して教えて欲しい。それが健康管理にも繋がる。

 自分の清潔管理が出来てから、持ち物(大事な物)の管理、金銭管理、時間割をそろえる、などを教えていくと良い。部屋の整理整頓、服をたたむ、靴をそろえる、ドアをきちんと閉める、など
他人から見えにくい所は、就労には、あまり関係ないので、その後でも十分に間に合うのだ。

 

家庭外でやったら法に触れるような行動に対しては、出来るだけ早急に、厳しい対応が必要である。
「自分がされて嫌なことは、他人にしてはいけない」

というのが、発達のあるなしに関わらず、今の人間社会では絶対的なルールであるが、この文章を、そのままルールに組み込んでも、自分を客観視出来ず、相手の気持ちが解らない、発達障害の子供たちには理解できない。

 

自分の思い通りにならないと、大声を出す、恫喝、脅し、異性にいたずらをする、窃盗、破壊行動、暴力など具体的な行動に対しての、具体的なルール設定が大事である。将来犯罪者にしない為にも、必ず謝罪をさせることと、厳しい罰則を設定することが必要である。
ルールを設定しても、何度も繰り返すのであれば、同じ体験を、本人にもさせてみたり、虐待にならない範囲での、体罰や食事制限なども有効であると私は考えている。

 

 もし子供が既に思春期になっていて、大きい体での暴力や暴言で、親の言うことを全く聞かず、ルールが守れず、法に触れる行為を繰り返すケースに対しては、家庭内だけでの解決は、もはや不可能である。引きこもりのページ参照
 
 その場合は第三者の介入が必要不可欠であり、児童相談所や医療機関に親だけでも相談し、場合によっては警察を入れること。専門家を介入し、少年院や鑑別所、児童福祉施設への入所も考えること。





勉強時間や成績を、ルールに組み込むことも、悪いことではない。本来勉強は自分の為にするものであるが、発達障害の子供に、それを教えるのは非常に難しいし、目先の利益の方がよほど現実的である。勉強した時間、問題集の枚数などで、ゲーム出来る時間を決める、今度のテストの点数で欲しいものを買う、などは本人にも解りやすく、非常に有効な手段である。

 

罰則設定は一日で出来ること、例えば1時間机に座る、短時間ゲームを取り上げる、罰当番、罰金、今月のお小遣いを減らすなど、その日で完結することが望ましい。子供を叱る時には、大きな声は出さずに、冷静に張り紙を指さすだけで充分である。

 また、罰則を遂行したら、そのことについては水に流し、後日色々言わないことも大事である。長期間の罰則設定で全てを取り上げてしまうと、子供はやる気を無くし、罰則は機能しなくなる。

 

しかしながら、
その子の特性を考えて、どうしようもない状況での
問題行動に対しては、罰則をしてはいけない。

例えばいきなり予定が変わるとか、確認行為や常同行為の強制中止、人混みと聴覚過敏によるパニック、過去の嫌なことを思い出したフラッシュバック、などは、発達障害の特性を考えれば、仕方のないことである。落ち着く場所に避難させて、大丈夫だよと抱きしめてあげて欲しい。

 

因みに常同行為とは一定の動作、ルーチン行動などを行うことで、心を落ち着かせる自閉症特有の症状である。指いじり、髪いじり、爪かみ、抜毛、貧乏ゆすり、独り言、指差し確認、着替えや食事などの順番、物の配置、儀式的な行為、などその子独自のルール、ルーチン、こだわりを持っており、それを遂行することで、気持ちを落ち着かせる効果がある。

それゆえ、そのような行動は無理に止めさせてはいけない。
他人に迷惑がかからないのであれば、どんどん行うように私は勧めている。

 

 

罰則を設定するのであれば、必ず報酬も設定しなければならない。
報酬を設定する際にはポイント制にするか、ある程度の期間、ルールが守れたら実行する。その子の喜ぶことは何なのか考え、欲しいものを買ってあげるとか、おいしいものを食べさせる、一日だけ長時間ゲーム可とか、その子のニーズに合わせること。その際にも他の子供と比べず、当たり前のことでも、出来なかったことが出来た時には、必ず抱きしめ、褒めてあげることが大事である。

 

 

 

 

4.コグニティブ・トレーニング

 

少年院に勤務している宮口幸治医師の書いた「ケーキの切れない非行少年たち」という書籍がある。少年院の中で、犯罪を繰り返し、反省できない子供達は、元々ベースに発達障害があり、聴覚情報や視覚情報の認知が歪んでいる。感情のコントロールや対人関係スキルを学ばずに育ち、失敗体験の蓄積から、怒りに変わり、犯罪を繰り返し、少年院に入っても反省が出来ないそのような子供に、ケーキを3等分する絵を描かせると、縦に2本線を引いてしまう。というショッキングな内容である。

 

私も拘留中の被疑者を、診察することがあるが、窃盗、暴行、薬物、性犯罪など、罪の重さに関わらず、ベースに発達障害のある方が、ほとんどである。発達障害は遺伝的なものゆえ、家庭環境も良くないが、学校でも落ちこぼれ、自己肯定感、社会性やモラルが欠如しており、社会に適合できずに、犯罪を繰り返してしまうケースは、非常に多いのではないだろうか?

 

そのような子供たちに宮口医師が推奨するのが、コグニティブ・トレーニング(Cognitive  Training)と呼ばれる、認知機能改善トレーニングである。(略してコグトレ)
 これは見る力、聞く力、創造する力を鍛えるものであるが、具体的には聴覚での話の記憶や、間違え探し、図形合わせ、法則配列、数字合わせ、物の計量、見え方、空間認知能力の強化など、色々な項目がある。内容的には、幼児教室で出される課題と、ほぼ同じであるが、
発達凸凹の認知機能改善には、非常に有効な手段である。

 

私立の小学校には、支援級というものが存在しない為、授業についていけない子供、座っていられない子供、問題行動ばかり起こす子供は、入学させたくない。そういう発達特性の強い子供たちを見つける為に、入試問題は巧妙に作られており、ペーパー以外にも親子面接、グループ行動、工作などの課題もあるのだ。

 5分くらいの、登場人物が複数出てくるお話を聞かせ、話の後に内容について5〜6問出題する。二つの絵の間違い探し、抜けた絵の穴埋め、動物サイコロを色々な方向に転がして、最後に上にくる絵と、その向きを当てる、積み木をを4方向から見た絵を描かせる、3つの天秤の絵から、重さの順位を決める、絵の中で悪いことをしている子供を探すなど、

 さらに興味深かったのが、入試会場に、電車のおもちゃが置いてあり、それを勝手に触ってはいけない、3人組を作らせ5個のおもちゃを渡して分けさせる、面接中に親とゲームをさせる、3種類の色の違った封筒と大きさの違う紙を渡し、指示通りに入れさせる、時間内に 絵画、工作、折り紙など、その子の学力だけでなく、創造性、協調性、社会性、巧緻性、親子関係なども審査基準になるのだ。

そのような私立小学校受験を目的とする、幼児教室でも、同じような課題が出される。

集団の中で、聴覚情報や視覚情報を正確に理解し統合し、作動記憶を保ちつつ指示通りに行動に出来るか?衝動性や自己の感情を抑え、ルールが守れるか? 細かい工作作業で、巧緻性を鍛えることが出来るか? 与えられた情報から自分で想像し、それを言葉や図に表すことが出来るか?などなど、入試の為というよりも、将来の就労に結び付く、重要な内容がほとんどであり、私も感銘を受けた。

 

又、この絵の中で悪い子は誰でしょうという問題や、困った時にはどうしたら良いか,この場面ではどうしたら良いかと自分で考え答えを出す課題も多い。これはカウンセリングの手法である、SST(Social Skill Training)やコーチング(Coaching)に準ずる。空気の読めない発達障害の子供には非常に有効な手段である。

 

そもそも、見る(読む)力や聞く力が弱く、認知の歪んだ子供たちが、小学校で机に座って、授業を受けても、その内容を理解することは出来ず、授業時間がつまらなくなり、空想や落書きになってしまうのは仕方がない。

 勉強が出来ないことから、失敗体験が重なり、自己肯定感が消え、起立性低血圧や、過敏性腸炎などの身体化症状をきたし、過食や拒食、自傷行為、暴力などの問題行動や不登校に繋がるのである。

何とか就学前までには、見る力と聞く力は、鍛えておいて欲しい。

 

鍛えるのは、見る(読む)力、聞く力、どちらか一方でも構わない。というか、人は皆、情報処理に対し、聴覚と視覚で優位性があると言われている。簡単に言えば物を覚える時に、文字や図を見て覚えるタイプか、何度も聞き復唱して覚えるタイプであるが、発達障害の子供たちはこの差が著しいと言われており、それによって勉強法も変わってくるのだ。視覚優位な子は何度も書いて文字化や図画化、聴覚優位な子は、何度も聞いて語呂合わせやリズムで勉強すると良い。


 幼児期に聞く力を、鍛える方法としては本の朗読、読み聞かせが一番有効である。お話の後にいくつかの質問をしてみると良いだろう。同様に、しりとりや謎々、かるたなども語彙力を高める効果がある。見る力を鍛えるには、パズルや積み木、描画、塗り絵、オセロ、トランプなどが良い。手先の細かい作業も大事であり、私が一番勧めるのは折り紙である


 経済的に余裕があれば、是非幼児教室に行かせると良いのだが、行かなくても、小学校受験用の問題集や、コグトレの書籍などは、書店やネットで簡単に手に入る。大人が見ても、複雑で頭を使う問題も多いので、是非親子でやってみてはどうだろうか?その際には、出来る問題と出来ない問題を混ぜて、一緒になって一喜一憂して欲しい。



 

私の外来に、言語性IQが130を超える、発達障害の女子大生がいるのだが、特別な英才教育を受けた訳ではなく、両親も普通の人である。彼女の場合、子供の頃から自分が解らないことがあると、すぐにスマホやPCで検索する癖がついていた。

 

難しい漢字や熟語 慣用句から、自然現象、歴史、文学、科学、数学など、ジャンルに関わらず検索し、納得するまで調べたそうだ。
解らないことが解った時、知らなかったことを知った時に、
嬉しくなる、面白くなる

と彼女は言っていた。幼少時から、そんな考え方が出来て、楽しみながら知識を増やせれば、素晴らしいのであろう。

 

 

5.病名告知と薬物療法

 

 小さな子供に発達障害を告知するのか?薬を飲ませるのか?というのは、日常の診療でも良く聞かれる相談である。発達障害の子供は小学校に入ってから、徐々に自分に違和感を覚え、皆と違うことが、コンプレックスになっている子も少なくない。中学高校と年を重ねる程、その傾向は強くなり、ちょっとした虐めや失敗で、容易に不登校に陥る。

 

私は言語理解力に問題ない子であれば、
小学校を卒業する前までに、告知をしている。

当然難しい言葉は、解らないので、貴方は生まれつき脳の作り方が皆と違う、貴方の親もそうであったこと。違うことは悪いことではない、皆と違っていて良い、合わせなくて良いこと、無理やり友達を作らなくてよい、今まで大変だったけどよく頑張ったね、と説明している。

 

 中にはそれでショックを受け、認めない子供もいる。そういう子供達は、人と合わせなくてはいけない、他人と違うことは恥ずかしい事、悪い事である、と親や教師から刷り込まれた子供達である。本人が認めなくても、年齢を重ねるごとに違いは顕著になり、周りと合わせようとすればするほど、空回りし、失敗体験から自己嫌悪に陥いってしまう。そうなる前に早々に告知をし、本人にも認めさせた方が良いと私は考えている。

 

 薬物療法についても否定的な親は多いが、自分で感情のコントロールが出来ない、いくらルールを設定しても、問題行動が止まらない、いくら努力をしても、勉強に集中出来ない子供達には、早い時期から積極的に薬物療法は行うべきである。

 何度も書いたが、発達障害とは、生まれつき、遺伝的な脳の構造の異常、機能障害(凸凹)であので、
努力や根性で、何とかしようとするのは到底無理である。

 

 小児の脳は未熟であり、ノルアドレナリン、ドーパミン、セロトニンといった、心を形成する神経細胞回路(シナプスネットワーク)が出来上がっていない。乳幼児期に親の愛情を受け、色々な情報を得、自分で考えること、訓練することで、脳は発育していくのであるが、

 情報を得る機能が、上手く働かないと、自分で考えることが出来ず、誤った解釈から、脳がさらに否定形に発育し、いわゆる凸凹が、もっと酷くなる
と私は考えている。
一時的にでも薬で分泌を促進することで、その後の発育を助けると考えて欲しい。

 

 私が小児の発達障害に処方する薬は分量が少ないだけで、基本成人と同じであるが、(大人の発達障害の項参照)一番効果があると実感出来るのが、コンサータである。

 覚せい剤類似物質で、連続的な服用で容易に依存になるのであるが、子供の場合は、夏休みなどの長期休暇があるので、そこで休薬、リセットすることが可能であり、依存になることは少ない。効果のある子は、劇的に集中力が上がり、例外なく成績が上がる。私の外来にも、試験前だけ薬が欲しいと、来院する中高生は多い。

 

今の日本社会、人は皆平等と言っても、実際は格差社会であり、余程の特殊能力や閃きが無い限り、学歴と所得はシンクロしている。いくら学力があっても、対人スキルや優しさが無ければ、社会適応は難しいのであるが、学力学歴が無いと選べる業種は少なくなる。学力は無いよりは、あった方が絶対に良いのだ。薬物を使ってでも成績を上げることは、その子の社会的な予後を大きく左右すると考えて欲しい。 

 

何故、勉強しなければいけないのか?
貴方が将来もらえるお金を増やす為、

何故、学校に行かなければいけないのか?
仕事に就いた時に出会う、苦手な人との付き合い方を学ぶ為、
と、私は子供たちに説明している。

 

 

6.学習障害

 

いくら努力して勉強しても、薬を投与しても、成績が上がらない、科目によっては全く理解できていない場合は、知的障害もしくは学習障害の合併を考える。

 学習障害とは「読む」「聞く」「書く」「計算する」「文章を構成する」「推測する」などの学習能力の中で一つ以上の項目で、全く出来ない先天的な障害であり、発達障害の一種で、通常はADHD、ASPと合併している。


 就学して担任の指摘で、初めて存在に気が付く親も居れば、中には成人になるまで指摘されない、悲惨なケースも存在する。

 

私がよく外来で遭遇するのが、漢字やアルファベットを、文字として認識出来ず、歪んで見える、一桁の加算も暗算が出来ない、文章が作成できない、聴覚での理解が出来ず指示が入らない、二次元を頭の中で三次元に変換できず、地図が読めない、人の顔の凹凸が解らず、名前を覚えられない、人の表情が全く読めない、などである。

 

これらの症状は訓練で改善することはなく、一生治らないものである。人間関係や就労にも、支障をきたしていることも多く、発達障害の中でも、非常に厄介な症状の一つである。

 成人の場合は、周囲にそのことを伝え、聴覚情報を視覚情報(もしくは逆)に変換する。常に電卓を活用する。スマートフォンを駆使し、録音、カメラ、録画、メール、文字画像を音声読み上げ機能、リマインダー機能などを利用、文章構成は他人の作った例文をそのまま利用する。髪型や声色で人を分別するなどで、工夫しながら、仕事をしていくしかない。

 

小児の場合、学校に電卓やスマホを持ち込むことは出来ないので、非常に苦労することになる。
文字の模写の繰り返し、定規を使っての書字、拡大眼鏡を使うなどの、工夫が有効な子供もいるが、私は担任の先生にそのことを伝え、授業の内容も視覚情報か、聴覚情報に全て変換し、勉強すること、テストの時には出来ない教科は捨て、模範解答の暗記で何とか点数を取る、得意な教科で点数を稼ぐことを勧めている。

 

可能であれば、学習障害を知っている、教師や塾講師に個別指導を頼むと良い。
出来ない能力を訓練するのではなく、
出来る能力で出来ない能力を、補う訓練が必要である。
就労の際にスマートフォンは、必ず必要になるので、早い時期に買い与え、素早く操作できるように。使い方を覚えさせた方が良い。

 

知的、発達の問題や学習障害の可能性を学校の担任が気付き、療育相談や支援級の利用を勧めても、「うちの子供は違う」と拒否し、無理矢理、普通級に行かせる親も多い。

 障害という言葉に敏感、偏見があるだと思うのだが、支援級というのは、その子供の能力に合ったスピードで、勉強を教えてくれる場であり、普通級の併用も可能である。支援級を利用したら、もう勉強はついていけない、仕事は障害者枠という訳でもなく、ゆっくりその子のペースで、勉強して、学力が追いつけば、普通高校や大学に行くのは十分に可能である。

 

そもそも、壇上で教師が訳の解らない話をし、周囲の子供達がそれを理解しているのを見て、自分だけが解らない、でも、ずっと机に座っていないといけないというのは、かなり辛い状況ではないだろうか?

 
時間の無駄、ただの拷問であり、虐待に近いものではないか
と私は考えている。自信を失い、自己肯定感を失い、劣等感しか生まないであろう。

 実際の外来でも、そのような悲惨なケースは非常に多く、よく不登校にならないで頑張ったねと、称賛せずにはいられない。その辛さを考えれば、素直に療育相談、支援級を利用すべきであろう。

 

 

7.優しい子供に育てる為に

 

自分の子供を、どんな子供にしたいか?という問いに対して、多くの親は、優しい子供に育ってほしいと答えるだろう。その為にどうやって、何を教えればよいのか?という問いに対しては、非常に頭を悩ますはずである。

 

優しさというのは親切心、助け合いの精神、いたわりの心、困っている人を助ける自己犠牲の精神から生まれるもので、それが友情や愛情に繋がり、その人の人生を豊かにする。私は人として最も尊く、その人の価値を決めるものと考えている。

 しかしながら、他人に興味がない、共感が持てないという自閉症、発達障害の子供たちは非常に多い。
そのような子供たちに、友情や愛情を教えることは、非常に難しいことである。

 人類進化の歴史を考えると、我々ホモ・サピエンスは、社会性を持つこと、大人数のコロニーを作ることで、氷河期の大量絶滅を、何度も生き残る事が出来た。仲間同士助け合い、思いやる、いたわりの精神というのは、ミラーニューロン(模倣する遺伝子)と、共感する遺伝子によって、獲得するものであり、本能的に、人は皆、生まれながら持っているはずである。

 ただ遺伝子の発現に関しては個人差があり、自閉症やサイコパスと呼ばれる人は、共感する遺伝子の発現が低いと言われている。人の性格を決めているのは、全て親から引き継いだ遺伝子であると提唱する研究者もいたが、最近では遺伝だけではなく、成育歴や教育歴も、大きく関与しているという報告の方が多い。いつ他者の存在を認知し、どのようなタイミングで共感性を獲得しているのかは諸説あるが、出生後に獲得しているのは間違いない。

 心をリラックスさせる、落ち着かせるのは、脳内の偏桃体でのセロトニンである、セロトニンはノルアドレナリンやドーパミンの分泌を、調節する働きを持っている。幼少時にその神経系を強化することが出来れば、共感性、友情や愛情を鍛えることが、充分に可能であると私は考えている。

 

乳児期には、とにかくスキンシップを取ること、抱きしめることが大事である。中には触覚過敏や重力不安などで、抱っこを嫌がる子供もいるが、頭をなでる、頬ずりする、手を繋ぐだけでも諦めずに毎日必ず、行って欲しい。もし癇癪や夜泣きが、あまりにも酷い場合は薬物の投与も考えること。睡眠薬や抗不安薬は乳児には処方出来ないので、小児用の総合感冒薬(抗ヒスタミン剤)や抗アレルギー剤が有効である。

 

言語の発育が進んだら、「ありがとう」という言葉を教えると良い、朝起きてくれてありがとう、ご飯を食べてくれてありがとう、笑ってくれてありがとう、手を握ってくれてありがとう、子供との生活をその言葉で満たして欲しい。そして出来ないことが出来た時には、すぐに褒めること。「よくできたね」「凄いね」「お母さんも嬉しい」と声をかけ、抱きしめて欲しい。

 

又親が間違ったことをした時には、素直に子供に謝ること。親も人間である為、時に感情的になり、手を挙げてしまうこともあるだろう。それを悔いて相談に来る親も多いが、すぐに謝ることが出来れば、子供が曲がった方向に行くことはない。

 というか、誰でも間違いを犯すことがあり、その時には「ごめんなさい」という言葉、謝ることを、身をもって親が、教えることは非常に大事なことである。(毒親はそれができない)

 

毒親に育てられた子供が、親になった時に、「私は自分の親みたいになりたくない。完璧な良い親になりたいんです」とよく外来で聞くのだが、絶対に間違いを犯さない、いつも正しい、完璧な親というのは、子供にとって、自分もそうならなければいけないという、プレッシャーを与える、窮屈な存在でしかない。

 親が間違える姿、謝り方を子供に見せること、誰でも間違いを犯す、子供も間違っても良いと安心し、謝ることを学ぶのである。(良い親とは、きちんと自分の間違いを認め、子供に謝れる親である

 

 日々の挨拶と、「ありがとう」「ごめんなさい」は
対人コミュニケーションの基本であり、
それが出来ないと、今後の集団生活で必ず孤立をする。

それゆえ親が良い手本となり、それらの言葉を上手に使えるように教えてあげて欲しい。大人になっても、それが出来ず、人間関係が築けないと、私の外来に来る患者は非常に多いのだ。

 

 

幼児期になると、色々と失敗や問題行動を起こす子も、多いのであるが、頭ごなしに叱るのではなく、冷静に「同じことをされたら、どう思う?」と言って諭していくと良い。

 最初のうちは「解らない」と答えると思うが、諦めず、「相手に不快を与えた、自分も嫌な気持ちになる」ということに気が付くまで、何度も何度も、冷静に教えていくしかない。先にも書いたが、「自分がされて嫌なことは、他人にしてはいけない」これは人として、必ず守らなければいけない、絶対的なルールである。これが理解出来れば、その子が反省できない犯罪者になることはないのだ。

 

子供の頃から、自然や生き物に触れ、自分で動植物を育てるということは、いたわりの精神、命の尊さを教えるのに最適である。皆さんも小学生の頃に、朝顔の観察日記をつけたことがあると思う。毎日、手間暇をかけて、徐々に大きくなって、花が咲いた時には嬉しかったはずである。犬、猫、鳥、カブトムシやメダカやザリガニなど、出来れば卵や幼虫、ひな、仔犬、仔猫の頃から成長する姿を見せて欲しい。

 

生き物を飼うということは、一生面倒をみるということでもあるのだが、最初だけ可愛がって、後は面倒見ないという子供たちは多い。親が代わりに面倒をみるのではなく、それによって生き物が弱った姿、死んだ姿を見せ、悲しみ、一緒に埋葬して手を合わせることを必ず行って欲しい。そこまでやって、初めて命の尊さを学べるのだ。

 

集団行動やスポーツ、登山、キャンプ、山村生活などに、参加させるのも有効である。最近は自閉症の子供達を集め、専門家が同行するイベントも沢山ある。どういう訳か、自閉症、発達障害者同士は親和性が高く、親友、夫婦になっている人も多い。家庭内では学べない、他人との付き合い方を学べる、絶好の機会であるので、是非参加して欲しい。

 皆で一つの作業を行うと、必ず得意な子供と、不得意な子供が存在する。中には全くできず、失敗ばかりして、周りに迷惑をかける子供もいる反面、簡単に全部出来てしまう子供もいるだろう。

目の前に、上手く出来ない子供がいた時に、
その子を馬鹿にして、笑うのではなく、
大丈夫?と声をかけ、助けることが出来るか?

自分が困った時に、周りに助けを呼べるか?
助けてもらった時に、「ありがとう」と言えるか?

周りに迷惑をかけた時に「ごめんなさい」が言えるか?
人と協力、話し合い、相談が出来るか?

 集団行動の中には、そういった対人スキルや、思いやり、助け合いの精神を、学ばせる目的があるのだ。又、スポーツや登山などで、辛い、悔しい、嬉しい、楽しいなどの感情を共有し、お互い助け合い、励ましあい、称えあうのも非常に有効である。因みに運動やスポーツは、脳内のドーパミンを活性する作用がある。

 

アニメの登場人物も、対人コミュニケーションの良い手本となる。特に我が国のアニメは、スタジオジブリに代表される、日本人特有の情緒や、心の葛藤、正義感、優しさ、人間らしさ、ルール、モラルなどが、巧みに盛り込まれている作品が非常に多い。アニメでなくても、戦隊ものや仮面ライダーなどの、勧善懲悪の特撮でも構わない。

 その中で私が勧めるのは「ドラえもん」であるが、その他にも「アンパンマン」「クレヨンしんちゃん」や「ポケットモンスター」「プリキュア」「じまじろうのわお」、最近だと「鬼滅の刃」などが、優しい主人公の心情を、上手に表現していると思う。(私の息子が、はまっている)

 

ただyoutubeの動画や、録り貯めていたものを、何話もたて続けて見せていても、あまり意味はない。必ず親も一緒に見て、CM中や一つの話が終わった時に、必ず登場人物の言動や、行動がどう見えたのか?何故泣いている?何故笑っている?何故あのような行動をとったのか?問い、もし、貴方が同じ状況になったらどうすれば良いのかを話し合って欲しい。

 さらに好きなアニメの、登場人物が出来れば、それを、ごっこ遊びに繋げたり、その登場人物の模写もさせて、自分でお話を作れるようになれば、素晴らしいだろう。

 

児童精神科や、小児のカウンセリングでは、他者の気持ちが解らない子供たちにロールプレイや、プレイ療法といった技法を使う。一緒に遊びながら、あらゆる場面で対話形式に、その時々の感情や気持ちを伝え、患児から言われたことや、されたことで、どう感じているか、どういう感情を持つか、悲しい、嬉しいとか、を具体的に教えていき、役割を交代させる。そういう作業を繰り返すことで、他者の存在を認め、労うことが出来るようになるのだ。

 

 

8.友達の作り方

 

発達障害の子供たちは、対人緊張が強い、人に興味が無い、どう話しかけたら分からないなどで、中々友達が出来ない、自分から輪の中に入れない子供も多い。無理に友達を作るように強要する必要はないのだが、誰かと共感する、感動する、他人との距離感を学ぶ、という経験は人格形成に、非常に大事な要素である。

共感性が友情に繋がることも多いが、それが難しい発達障害の子供たちが、

簡単に友人を作る方法としては、まず何かに興味を持つことである。

 

食べ物でも、動植物でも、玩具でも、乗り物でも、アニメでも、ゲームでも、動画でも、お笑いでも、スポーツでも何でもよい。とにかく興味を持つものを作ること、現時点でそれがないのであれば、親も一緒に、色々な所に出かけて探して欲しい。趣味や興味があるとないのでは、その子の後々の人生を、大きく左右することになる。どんなものでも、馬鹿にしたり、否定したりせずに根気よく探すことが大事である。

 

それが見つかった時には、そのことを、図鑑やネットなどで、掘り下げて調べて欲しい。そして本人が知識をつけたこと、上手になったことに対して素直に称賛すること、褒めることが、自己肯定感を養うのにも非常に有効である。

 

発達障害に限ったことではないが、現在テレビゲームに没頭する子供は多い。それを否定する親も多いが、ゲームの話は、子供とのコミュニケーションを取るのに、最適な話題である。殺戮シーンや、グロテスクな描写のあるゲームは良くないが、自分で考えるゲーム、謎を解くゲーム、何かを作るゲームなどは知育にも有効である。

 

子供が、どんなゲームをしているのか調べ、「上手だね」「凄いね」と褒めてあげて欲しい。ただ発達障害の子供は、過集中があり、放っておくと一日中でも没頭するので、プレイする時間は、決めた方が良い。私は報酬罰則設定に、ゲーム時間を組み込むことを、勧めている。

 

興味を持つものが出来れば、そこから友達を作ることは簡単である。自分が好きなものを他人も好き、それは、とても嬉しいことであると教え、その気持ちが容易に友情に変わるのだ。語彙力が少ない子供でも、自分の興味のあることについては、延々と話し続ける子供は多い。

 逆に言えば、同じ趣味、共通点がない子供と、一緒にいても会話が続かず、興味の無い遊びに付き合わされ、本人にとっては、、苦痛でしかなくなるので、注意が必要である。

 クラスの皆と友達になりましょう、仲良くしましょう、という教育者は多いが、普通に考えて、多種多様の性格、興味対象があるわけだから、皆と友達になるのは不可能である。心が許せる友人は、一人か二人で充分であり、他のクラスメイトとは、トラブルを起こさない程度の、表面上の付き合いで良いのだ。


 
コミュニケーション能力が高い人とは、皆と仲良く出来る人の事ではなく、嫌いな相手でも、表面上の付き合いが出来る人である。そう考えれば、幼少期に、苦手な人、嫌いな人が数人クラスに居た方が、大人になった時の、社会性の勉強になると、私は考えている。


9.それでも不登校になってしまったら

 幼少時から、社会性を学ばせ、モラルやルールを教え込んでも、不登校になってしまう子供たちもいる。前にも述べたが、育児のゴールは自立であり、高校を卒業すること、大学に進学させることではない。いきなり否定するのではなく、何故学校に行きたくないのかを、冷静に聞き出すことが大事である。その中で、除外しなければいけないのが、病的な精神症状で行けなくなるケースである。(ひきこもりの項参照)

周りが自分の悪口を言っている。嫌われている。体臭、おならや嘔気に対しての強迫観念。幻聴が聞こえる。不潔恐怖。誰かに監視されている、自分に危害を加えられるなどの言動がある場合は、統合失調症や強迫性障害などの精神疾患の可能性がある。その場合は薬物治療(リスパダール、サインバルタ、抗不安薬)が効果あるので、まずは病院受診が必要である。明らかに勉強がついていけていない場合は知的障害や学習障害の可能性を考え、児童相談所、療育に相談し知能検査を施行すること。

先にも述べたが、発達障害の子供達が不登校になってしまう原因で、私が外来で最も多く遭遇するのは、一度嫌な経験であると認識すると、それが打ち消せず、頭の中でグルグル回り、そのことばかり考えてしまうケースである。


 例えば、実際に苛めや体罰があって、それが発覚、謝罪、改善させた、転校させたとしても、嫌な記憶は鮮明に脳に焼きついており、フラッシュバックを繰り返し、次の学校でも不登校が続くケースは非常に多い。


ストレスというのは主観である為、何にストレスと感じるかは、その人の価値観で決まってくる。それゆえ、苛めや体罰でなくとも、先生に少し強く言われた、自分の言ったことを覚えていない、遅刻をして恥ずかしい思いをした。友人に挨拶をしたら無視をされた、授業中に失言して笑われた、先生に難しい問題を解くように言われた、ラインで自分の名前が出た、自分の外見を批判されたなど、


些細なことでも、苛められた、馬鹿にされた、自分は孤立していると捉える発達障害の子供たちは非常に多いのだ。


その次に多いのが、学校に興味がない、行く意味が見いだせない例である。これは大学生に多いのだが、明確なストレスは存在せずに、単に学校が好きではない、勉強に興味が無いのである。親しい友人とクラス替えで離れた、好きな部活を引退して、学校がつまらなくなった例、ゲーム、ネットの方が学校の優先順位より上になった例、昼夜逆転、繰り返す遅刻で、学校に行くのが面倒になった例、、アルバイトや夜遊びの方が楽しくなった、などで不登校になることが多い。



 その他にも、家庭の問題で、親が学校に行かせない、親が不安定で親と離れられなくなる例、経済的に行かせられない例、起立性低血圧、自家中毒、片頭痛、過敏性腸炎などで身体症状で行けない例、一見すると、怠けているだけに見えてしまう例も、多数存在するのだ。



 学校に行けなくなった発達障害の子供達に、私がまず教えるのは、
学校に行く真の意味は勉強する為ではなく、
社会性を学ぶ為、ということ
である。


勉強するだけであれば、塾や家庭教師、自分で参考書を読み、ネット配信などで十分に出来るであろう。特にIQが高いASPの子などは、勉強しなくても、トップ成績は取れてしまう。しかしこれは中学生までの話であり、小中で勉強する習慣がついていないと、高校で授業についていけなくなり、成績は急降下するケースは多い。


 勉強よりも大事なのは、集団の中に居られるか、問題行動を起こさずに、学校のルールを守れるか、嫌いな人、苦手な人との表面上の付き合いが出来るか?きちんと挨拶、謝礼、謝罪が出来、集団行動がとれるか?ということである。



学校という大人数の閉鎖的な空間は、ルール、社会性、対人コミュニケーションスキル、生活リズム、を教える最適な場所である。それらをクリアできなければ、その子は将来仕事に就いた時に、苦労することになるのだ。


 そのことに納得して貰ったら、まずは朝起きて玄関を開ける練習である。ある程度生活リズムが保てるようになったら、親が担任に相談し、保健室登校や支援級、スクールカウンセラーの利用を検討してもらう。


 先に述べた家庭内でのルールを設定し、校門前まで行ける、教室前まで行ける、などで報酬を設定してくと良い。また、行かなかった日には、ゲーム、ネット禁止、家の手伝いなどの罰則設定も大事である。勉強が遅れないように、塾や、家庭教師の利用も考えること。


 過去の嫌な記憶に支配され、フラッシュバックが止まらず、全く学校に近づけないケースは、いくらルールを設定しても無理なので、内服薬が必要になる。少量のリスペリドンや抗不安薬などを登校前に服用するか、サインバルタ、ストラテラ、インチュニブなどの内服が多少効果ある。それも効果が無い場合は、早急にフリースクール、適応指導教室、通信制の学校に転校を考えること。


 社会性を学ぶ場所は、学校でなくてもよい、
 民間のフリースクールや、放課後デイサービス、療育センター、キャンプ、習い事、部活、塾など、とにかく、人の中に居られる練習が、出来れば良いのだ。どこにも行かずに、
家族以外と接点を持たずに引き籠ってしまうと、社会性は学べないどころか、過去の嫌な記憶がどんどん浮かび、不眠、不安から昼夜逆転という負のスパイラルに陥ってしまう。



何とか今の学校に行かせようとする努力は必要であるが、
無理な場合は、他の選択肢を考えること、
とにかく引き籠らずに、
人の中に居る練習をすることを勧めて欲しい。

 

10.発達障害の子供を持つ親たちへ

 

 自分の子供が、発達障害であることが解れば、何故躾が入らないのか、この子は出来ない子なのかという謎は解ける。と、同時に自分の子供は障害児であると、落胆する親も多い。成人の項でも述べたが、発達障害とは、単に性格、個性の問題であり、決して劣っているとか、ダメな子ではない。

 

私も外来で、色々なケースを診てきたが、他の子比べて素直でまっすぐ、行動力がある、ユニーク、突飛な行動、解りやすい性格などから、溺愛されている子供達も多い。
一方でこの子は出来ない子、ダメな子、劣等生とレッテルを張り、頭ごなしに叱咤し、否定ばかりし、児童虐待やネグレクト、家庭内暴力、引き籠りや、少年犯罪者になってしまったケースもいる。

 

 先にも述べたが、親としての責務、ゴールはその子を自立させることにある。生まれつき能力に、凸凹がある発達障害の子供を、そこまで持っていくのには、苦労も努力も、人一倍しなければならないだろう。そこに必要なのは、自覚と、工夫と、リハビリ、そして時間である。

 
出来ないことに目を向けるのではなく、当たり前であっても出来たこと、頑張っている姿、その子にしかない素晴らしい所に目を向けて、自分の子供を愛し、信じ、周囲に自慢して欲しい。
「私の子供は、発達障害なんですが、今何処に通って、一生懸命に頑張っているんですよ」と胸を張って、親戚や隣近所に伝えてみてはどうだろう。

 

最終的に家を出て、社会生活を送り、自分の力で自分が使うお金を稼ぎ、他人に迷惑をかけずに、自分の人生を楽しむ状態まで、持って行けた時、親としての責務を果たした時の達成感は、何にも代えがたい、素晴らしいものではないだろうか?

 

 

 

大人の項でも書いたが、子供の頃に発達障害に親が気付き、落ちこぼれ、失敗体験を繰り返す前に、療育に乗り、支援する人が出来れば、クラスから劣等生が減り、不登校や引き籠りが減り、いじめが減り、児童虐待や犯罪者、悲惨な犯罪被害者も減る、
それは将来の日本を、救うことになると私は信じている。

 

 

最後に発達障害を持つ子供の親たちへ、この手記を送りたい。

 









 

オランダへようこそ

作:エミリー・パール・キングスリー





私はよく障害を持つ子供を育てるって、
どんな感じか聞かれることがあります。


障害児を育てるという、
ユニークな体験をしたことがない人が、
理解して想像できるようにこんな話しをします。


出産の準備をするというのは、
すてきな旅行の計画をすることに似ています。


例えば、イタリアへの旅。
旅行ガイドを数冊買い込み、
現地での行動を計画します。


ローマのコロシアム、ミケランジェロのダビデ像、
ベニスのゴンドラ。
簡単なイタリア語を覚えるかも知れません。
とても、わくわくします。




そして、何ヶ月も待ちに待ったその日がやってきます。
あなたはカバンを持って、いよいよ出発します。
数時間後、あなたを乗せた飛行機が着陸します。



スチュワーデスが来て、
「オランダへようこそ。」と言います。


「オランダですって?」

 と、あなたは驚きます。

「オランダってどういうこと?
 私はイタリアへ行くはずだったのよ!
 ずっと前からの夢だったのよ!」




しかし、飛行計画が変更になり、
オランダへ着陸したのです。
あなたは、そこに残らなければなりません。



ここで考えて欲しいのは、
あなたは、不快で汚くて、
伝染病、飢饉や病に侵された
ひどい場所に連れてこられた訳では
ないという事です。



ただ、ちょっと違う場所であるという事です。



そこであなたは、
新しい旅行ガイドを買わなければなりません。
そして、全く違う言葉を
覚えなければならないのです。



また、
今まで会ったことのない人々に
出会うことになります。



ちょっとだけ違う場所へ来てたのです。
イタリアに比べて、時はゆっくりと過ぎていき、
イタリアのような華やかさはありません。



でも、しばらくここにいて
息を深く吸ってみると、
周りをみわたすと・・・・・




オランダには風車があることに気がつきます。
チューリップも、レンブラントもあります。



あなたの知人たちは、
イタリアへ行ったり来たりして、
とても楽しい時間を過ごしたと自慢します。




あなたは残りの人生、こういい続けるでしょう。



「私もイタリアへ行くはずだったの。そのつもりだったの。」



 イタリアへ行けなかった痛みは
 癒えることはないでしょう。
 失った夢はあまりにも
 大きすぎるのです。



しかし、いつまでもイタリアに
行けなかったことを悔やんでいると、

オランダのすばらしさや美しさを、
楽しむことは出来ないでしょう


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